先日、以下のような動画が上がっていて、再生数が伸びているようです。
内容から、「ホワイト革命で生まれるホワイト社会では、人間、誰しもキレイ(清潔・綺麗)なモノが好き。...と言うか、キレイなモノしか受け入れなくなって行く。」と言う様な話で、「汚いモノにこそ本質がある。」的な話は、老害感が出てきているようです。
では、なんで、世の中が(先ずは)ホワイト社会に向かうのか?と言う話ですが、コレはタイトルに書いたように、どうしたらスタック&コラボレーションを伸ばせるか?、若しくは、最近の話題で言うと、バリューチェーンを伸ばせるか?と言う話なんだと思います。
どう言う事か?と言うと、「先ずは、このような大きな流れに乗って、スタック&コラボレーションとかバリューチェーンとかを伸ばす事が、世界や社会や組織などにおいてのベネフィットを最大化させるタメ。」と言う事だと思います。実際、一昔前、WindowsとかIEとかの「独禁法ガー。」と言うような話をよく耳にしましたが、昨今のメガプラットフォーマーの時代、OSやブラウザ等に対して、あまり、「独禁法ガー」とは言わなくなりました。
コレは何故か?と言う話ですが、ユーザー主導の多様性は重要なんですが、ベンダーの自己裁量は迷惑だ。みたいな話があるのかもしれません。コレは
昨今の民主主義の問題(≒ 社会主義化)に似ている様にも思います。
例えば、ラーメンの味には多様性があり、みんな豚骨スープになってしまうようなことは無いです。ただ、ベンダーの都合で、同じ業務や、同じWeb標準化から発生した色々なサービスやプロダクトを乱立させてしまうと、ユーザが使い辛さを感じる事はあると思います。こう言う事があるので、OSSをクラウドサービスに乗せてビジネスと考えていたのに、実際は、殆どの仕事がメガプラットフォーマーに取り上げられてしまう訳です(しかし、コレで、OSSが無くなってしまうと言う事も無いですし、実際、コレは、サプライサイドのエゴではなく、デマンドサイドのデマンドなんですよね)。
この考え方は、やがて、マーケットでの話に留まらず、個々の組織にも浸透して行き、自由競争の側面から、個々の組織の自己裁量より、
社会のバリューチェーン、世界的なポリコレ、コンプラを重視せざるを得ない社会になると思います。コレが、アフターコロナで起きる事じゃないか?と思っています。
このホワイト革命・ホワイト社会、色々なトレンドと合致すると思います。前述のトレンド以外にも、
- ポリコレ、コンプラ
- 働き方改革
- 組織より個人
- グローバリズムより地域社会
- 安心社会より信頼社会
- 体育会系(Jock)よりオタク(Geek / Nerd)
- プロダクト・アウトよりマーケット・イン
- 一部の独占を許容する社会の登場
- 主戦場はプラットフォームからコンテンツへ
- 属人性を排除するローコード / ノーコード
などがあるかと思います。
...で、「汚いモノにこそ本質がある。」的な話は、コレはコレで真実、と言うより、ホワイト社会も「汚いモノに対するポリコレ」とか「組織より個人なハズが個人の選択の自由は減る問題」など、矛盾を含むので、今から20年位後、それは、ホワイト社会が確立し、スタック&コラボレーションや、バリューチェーンが、一先ず伸び切った後、新しいベネフィット創出を求めた社会によって、自然と(、汚い本質が)、議論されるようになるかもしれません。
コレは、恰も、民主主義に対する社会主義盛り返しのように、人間社会、後戻りはしませんが、善悪二元論的に(論)争が繰り返されるのかもしれません。