昨今のコロナの影響もあり、4月初から、在宅勤務を始めました。元々、寄与型の仕事をしていないので、在宅勤務の影響は少なかったと思います。むしろ、ゆっくりモノを考えられるので、こっちの方がイイかなぁ?などと思ったりしました(ただ、チームでの会話は重要だと思いますが)。
しかし、逆に、寄与型の人から見ると、昨今のトレンドは脅威なのかもしれないなぁ。と思ったりもします(実際、Twitter等で、そう言うTweetも目にします)。
で、この間、
...なツイートを目にして、
「日本は、垂直統合型や作業寄与型(≒悪しき慣例?)でないと、労働とは認めない。なんて背景、文化的にも歴史的にも、無いよなぁ。」
って思ったりしました。
("職業に貴賎なし"とも言う)
...なんと言うか、額に汗して働かなくてイイ、ストック型のビジネスって、今までの「勤労は美徳的」な日本人の価値観・感性からすると、「仕事じゃない。」って思われガチだったと思うんですよね。
かく言う私も、過去には、「切り替えができないから、出社するよ~。」みたいなことを言っていましたが、実際、やりゃできるし、振り返って、なんか、在宅勤務に後ろめたさを覚えていた感がありますね。確かに。
しかし、色々なものが機械化されて、人間自体が物理的な力を発揮しなくても、生産活動が行えるようになった昨今、その様式も変わりつつ有るんだろうなぁ。なんて思ったりした次第です。
そんな中で、改めて思いました。「"私の思索が、価値を生んでいる。"って言うのも、改めて考えると不思議だなぁ。」...と。実際、ベネフィット系のアウトプットも、あまり観測できていないですし。今後は、これを、もうチョット、ロジカルにして行く必要があるなぁ。と思ったりしています。