ここ最近、数回に渡って「不合理(利己的選択)が許容されていた時代のあだ花」について、言及していますが、私のアクティビティに最も近いのは、「クローズドなライブラリ云々系」でしょうか?
社内ライブラリ云々の話は、
以下のスライドが非常に参考になります。
私の場合は、2014年に社内開発基盤のOSS化に成功し、わりと本気で、セルフサポート化と言うモノを達成しています。そう言う意味で、上記スライド中にあるような、様々なトラブルに時間を割かず、新しい事に注力できていると思います。
そう言う事で上手く行っている面もあるのですが、ライブラリとかUIコンポーネントという文字列を見ると、「
そんなもん書くなよ。」って思うんですよね。
そして、ココでの「書くな。」と言うのは、
- 「ライブラリとかUIコンポーネントの
プログラムを書くな。」と言う事ではなく、
- 「ライブラリとかUIコンポーネントとか、
予算方針とかそういうパワポ中に書くな。」と言う事です。
そして、その真意は、
「そんなもん、新規でパワポに書かずに、
呼吸するかの如く、既定でやってろ。」
ッテ話ですね。
...そんな感じで、予算方針にイラつく事が多いですが、コレ系、なんで、こんなにイラつくのか?少々、分析をしてみました。翌々考えると、最近、「ポートフォリオ・プログラム・マネジメント」を自ら始めているのは、予算方針がクソだからなんじゃないか?と思ったりしています。
以下、私が思う、予算方針系がクソな所。
最も初期状態のレベルの低い組織で見られる。自分が予算を立てて、周囲からの評価無しの実施のみで予算達成を宣言する。...ある意味、前回言及した「
小山の大将」ネタに通じるものがあります。
xxxxには、バズワード系を入れて貰えるとシックリ来るかと思います。静岡の方言的に言うと「ばっち(ばった)」なんでしょうか。...と、なかなか子供じみてますが、「俺」が取り纏めなのは良いけど、それが展開されて来ないって言う事は、お前が「プログラム・マネジメント」出来て無いって事だよね?みたいな話ですね。
裁量を持っている人が、「なんで出来てないんだ?」的に、AS-IS → TO-BEに言及する事は容易だと思います。問題は「AS-IS自体も、お前が書いた予算だろ!」的な突っ込み所がスルーされている点です。
...何事も、小さなことからコツコツと積み上げないと、なかなか結果にはリーチしないもので、「AS-IS否定+革新的TO-BE」の繰り返しでは結果にはリーチしません。
- 全体方針(ポートフォリオ)とプログラム・プロジェクトがごちゃ混ぜ
全体方針 ≒ ポートフォリオなんだと思いますが、ポートフォリオ・レベルが成立していないケースってのは、あまり無くて、どちらかと言えば、煌びやかに見える文言が羅列されているケースが多いと思います。
それ自体は、「あぁ、ちゃんとマーケットインしているな...。」という感じでイイのですが、プログラム側も、この煌びやかなポートフォリオに関連付けて書き過ぎると、実際、プログラム → プロジェクト側のアクティビティ(プロジェクト作業)が見えなくなるってケースが多いですね。こう書いた方が予算認可され易いんだろうと思いますが、その先のプログラム・マネジメントに一抹の不安を覚えます。
- そんな中、突然現れる具体的なアクティビティ(プロジェクト作業)
そんな中、「ライブラリとかUIコンポーネント」が現れたりすると、「それって、上記で言っているAS-ISなんじゃねーの?」的な二重基準感を感じますし、それ以上に先ほど言った「
そんなもん、新規で書かずに、呼吸するかの如く、既定でやってろ。」って感想になるんですよね。
そもそも、新規が既定のクオリティを超えることなんて稀なので、既存施策を現行ポートフォリオに合わせてプログラムした(スタックさせた)方が結果に結び付きそうなものです。
...が、AS-ISの成果が認められていないことが多く、それで新機軸を打ち出しているんだと思いますが、それは、
コチラに書いたように、「ポートフォリオ・プログラム・マネジメント」(におけるステークホルダー・マネジメント)が出来ていないという言う事だと思います。
以上
如何でしたでしょうか?こう言った問題、日式的大企業、別名、JTBC(Japanese Traditional Big Company)では、"あるある"なんじゃないか?と思います。
...斯くして、ライブラリ系( ≒ 地道な既存施策)は、disconの圧を受け、多くの施策は、後世にスタックすることなくdisconになります。既存施策を現行ポートフォリオに合わせてプログラム(スタック)させ、且つ、ステークホルダー・マネジメントが出来ていれば、こんなことにはならないでしょう。
余談:
上記スライドの中に「婚期を逃す」と言う、少々、衝撃的な内容がありますが、私も、2014年にOSS化を達成しなかったら、婚期を逃していたかもしれません。そして、気が付けば、いつの間にか、3息子の父になっていましたが、こう言うのが少子化に繋がっているんじゃないか?と思います。
...なので、このような「不合理(利己的選択)が許容されていた時代のあだ花」は、ひたすら殴って、殲滅する必要があるかと思いますが、その根底にあるものは「レベルの低い予算方針」なんじゃないか?と思っています。
レベルの低い予算方針が少子化に繋がっている(極論w)。