最近、何処かの記事で
「
組織が高齢化すると、老害同士で"仲良し組織"化をしてしまい、甘さが露呈、若手にとって働き辛い環境になる。」
みたいな文字列を目撃したりシました。
確かに、日式経営、古い所では、
ポートフォリオの存在も知らず(、と言うか、認知せず)、「現場に聞いてこい。」とか言って、実際にヒアリングを行ってみると「ニーズは出て来なかった。」みたいな事を何回も繰返している。
という話は
過去にも書きましたね。
一方で、チョット新しい感じの企業では、一昔前は、
タイムマシン経営もどきをやって来たかと思います(コレが昨今オワコン化している「担ぐ系」です)。
...と言う事で、日本企業、基本的に、現場最適化、個別最適化しているため、経営層は仕事(戦略立案、全体最適化)して無い感があります。しかし、それも、そろそろ、改善されるだろうフェーズに差し掛かってきた感がありますね。それは、多分、既存需要のシュリンクに関連していると思います。そう言う意味では時勢です。
そんな事を考えていて、なんかフと思ったんですが、政治家とか、70歳を超えても中々引退しないの、なんなんだアレ?って思うことが多いですよね?アレ、実は、アラ還(暦)がショボいって話なんかもしれません。
...と言うのも、アラ還(暦)、20年ぐらい前からワリと第一線でやらせて貰っている気がするんですが、その裁量あって、20年経って、今どうよ?みたいな評価をされると正直キツイと思うんですよね。
そんな事を言っていると、我々の世代もアラ還になる頃(15 - 20年後)、厳しく総括されるのかもしれませんが、その頃は、逆に(?)無敵のアラ還が登場しているかもしれません("無敵のアラ還" の "無敵" は ≒ "無敵の人" の意味での "無敵" なので、ネガティブな意味での"無敵"ですよ。...ちなみにアラウンド70は、アラ古(希)、アラウンド80はアラ傘(寿)らしい)。
...つまりですね、本稿で、
何が言いたいか?と言うと、
日本の儒教文化と、戦後の高度経済成長に伴う堅調な内需に支えられて、アラフィフはアラ還に、アラ還はアラ古(希)に、アラ古はアラ傘(寿)に頭が上がらなかったのが、昨今、言われているトランスフォーメーションを阻み、いつの間にか生産性の低い国となってしまっていたんじゃなかろうか?
と言う事です。
そして、色々と問題が出ている。
しかし、コノ、忖度のチェーンが、我々アラフォー辺りの世代で崩壊するんじゃないか?という話ですね(「あーだこーだ」言える程、偉そうに出来ないwと言う認知ダケはアルw)。しかし、コレも所詮は時勢ですね。色々調べると、80年後には、日本から過当競争が無くなって生産性も高まるのかも知れませんが、
まだ戦後70年って考えると、
「今から80年後て何時だよ?」
って気もしたりします。