今日の話は、
「若い時は、好きこそものの上手なれで始めて、良いんですが、歳を取ってくると、案外、ソレだけでは通用しなくなる。」
というような説教臭い話です。
...が、しかし、それも必要かな?と。
...と言うのも、歳を取ると、性欲も物欲も無くなってくるので、まず「好き嫌い」という感情が減ってくると思います。なので、モチベーションを維持できなくなってくる。そして、その次、「好き嫌い」から「善し悪し」と言う観点に変わってくる。しかし、「善し悪し」って言うのも、ほぼ、人間の経験上の主観なので、ほとんど当てにならなかったりします(そう言う意味で、年の功も大した事は無く、”愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。”なんていう格言もあったりする)。例えば、人間相手の場合、「あの時、アレが良いと言ったケド、今は、コレが良いって言うんですか?」なんて状況は、よくあると思うんですが、いい加減なモンですよ。
じゃあ、何が重要なのか?と言うと、「ものの道理が解っている方が良いね。」と言う様な話しです。某弊Blogや関連Wikiでも、「スキームが一」とか「戦略がー」みたいなことを、ワリと良く言っている気がするんですが、これらは、≒ ものの道理ですね。解かり易く言うと、医学や科学は、使用者の人格に関係無く、行使すれば人を救える力があったりシますが、アレですね。
...と言う事で、
スキームや戦略が、シッカリしていない組織は(、糠に釘、暖簾に腕押し、豆腐に鎹を続け)、不幸な人が増えて行くと思いますが、シッカリしている組織では、まぁまぁ上手く言って、そこそこ幸せになるんじゃないか?
と思います。
企業で言えば、「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る。」と言う状況か、「ベネフィットに根差したプロフィットで三方良し。」状況と言う感じでしょうか?とまぁ、ソレぐらい、重要な事だと思います。
今回のオチとしては、究極的には、「好き嫌い」や「善し悪し」は、所詮、人間の気持ちで、共感はあるかもしれませんが、道理が判らんと、物事は達成できない。と言う事でしょうか?故に、モチベーションは高く、「好き嫌い」や「善し悪し」と言った気持ちは抑える。と言う事が必要ではないか?と思ったりした次第です。
あと、
先日書いた、案件レベル・アーキテクト氏、「好き嫌い」や「善し悪し」でヤッてる人が多い気がするんですよね。しかし、道理にリーチしないレベルの行為は、案件の枠内でしか許されないので、結局、日の目を見ることは無いんです。